日本歯科医学会について/ご挨拶
学会長ご挨拶 平成31年新年号

新春に想う「承前啓後」
新年おめでとうございます。
昨年11月に、長年生活を共にしてきた愛犬が虹の橋を渡り、「ハナニアラシノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」なのか「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」なのか、静かに広がるその寂しさをかき分けながら迎えた新年でした。
正月の過ごし方といえば、自作アンプでレコードを聞いたり、音源をCDに替えたり、FMチューナーに切り替えたりして「音楽」ならず、「音」を楽しみながらウトウトと寝入ってしまうスタイルが定着しています。ご存知のように私は、機器の製作と出てくる「音」を楽しむオーディオマニア。しかし上には上がいるもので、測定器から出てくる「数値」を楽しむマニアもいて、オーディオの奥は深いのです。今年は、レコードのRIAA曲線補正装置の改造に取り組んだり、ジャズ専用のシステムを仕上げたりして過ごしました。このシステムは自作の古い真空管アンプを整備し、スペアとして20年ほど保管していたCDプレーヤーを組み合わせたものです。スピーカーユニットは、競売で入手した1950年代の米国RCA製12インチ・フルレンジのフィールド型に、九州から取り寄せたタモの集成板、DIYで買い集めた部品を合わせて平面バッフルとして組み上げました。接着剤は使用せずに金具と木ねじのみで組み立てて、いつでもバラしやすいようになっています。こういった趣のものは、いつなんどき不要になるかもしれませんからね。
さて出来上がった新システムを試すために、犬の散歩仲間でジャズに凝っている方に声をかけたら、手提げ袋いっぱいのCDをもって駆けつけてくれました。このシステムの音は友だちの評判も良く、いろいろなジャンルの曲を次々と試したのですが、そのなかで胸を熱くする歌声に出会いました。[Eva Cassidy:Live At Blues Alley]。「音」ばかりでなく「音楽」に浸る楽しみも大音量で味わっているこの頃です。「音」から「音楽」に向かっているのは、昔ほどの製作馬力が無くなってきたからでしょうか?
最近はNET配信の音楽をBGMとして使うこともあります。原稿書きなどのデスクワークに色を添えるのに聞いているのは、主にケルトミユージックです。PCの音源から、自作のFETのモノラルアンプに入力して1950年代の米国製12インチのフルレンジスピーカーを、おそらく学校の廊下の天井につけていたのではないかと思われるスピーカーボックス(これも米国製の1950年代モノ)に入れて鳴らしています。70年前の代物がNET配信とつながる不思議な空間です。
ネット配信といえば、この正月に家内から1本の映画を薦められました。それは2009年のフランス映画「オーケストラ」という作品。何かしていないと落ち着かない貧乏性の私が、じっとディスプレイの前に座って映画を鑑賞する気持ちになるのも、正月休みという時間のなせる業なのか、おかげでひさびさに映画というものを堪能しました。この映画では旧ソ連時代に思いをはせる人物と現在のロシアに生きる人たちの生きざまが明暗軽重取り混ぜて描かれています。ソ連時代に弾圧された指揮者、流刑された母親の面影を残す若い女性バイオリニスト、どんなときにも営業を忘れないユダヤ系ロシア人、ルーツをジプシーに持つと思われる楽員らをめぐる人間模様が、変革していく歴史の流れとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35の調べにのせてミステリアスに展開します。ラストの15分間は音楽に疎い私にとっても感動もので、平和と人の尊さを改めて考えさせられる映画でもありました。これらの登場人物の個性は、私が若いときに出会った人々の話と重なってくるのです。ロシアがソビエト連邦と呼ばれ、「鉄のカーテン」で覆われた近寄りがたい国であった当時、私は隣国のフィンランドにいました。彼らは日本円で数百円の外貨しか持ちだせないので、持参したウオッカを市場で個人的に売っている光景を見こともあります。酒好きのフィンランド人とはいえ、ソ連製ウオッカに興味があったわけではなく、ソ連という国は嫌いだがロシア人には好感情を持っていたからこそ成り立つ話だったのでしょう。また前職の大学がヘブライ大学歯学部と姉妹校関係にあったこともあり、欧米ユダヤ人の知り合いが多くいました。ソビエト連邦の崩壊後、イスラエルに移住したロシア系ユダヤ人歯科医師の再研修をヘブライ大学病院で行っているという話も聞きました。さまざまな国の多様な国民性が、懐かしい思い出と共に脳裏によみがえる心地よさの中、ラストシーンのヴァイオリンの音にすっかり圧倒されてしまいました。その後、わが家のオーディオ装置からは、ハンガリー/ロマの楽団「神技のジプシー・ヴァイオリンとBALADA望郷のバラード天満敦子ヴァイオリン小品集が響いています。
「音」「音楽」に囲まれて、昔の自作機器や人々の心や歴史の連なりが、ややもすると喪失感に流されてしまいそうな空気に次の春をもたらしてくれる、そういう年の始まりでありたいと思っています。
2019年 1月 7日
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