日本歯科医学会について/ご挨拶
学会長ご挨拶 令和3年2月号

ステイホームの「遊び場」
自宅の東側は小高い丘になっている。半世紀ほど前は子どもたちの広い広い遊び場だった。時が流れて子どもたちの歓声が消えるとそこは野生動物の生活場になり、今はステイホームにおける私の「遊び場」となっている。一人で頂に登れば、北方向に見えるのは遠く筑波山や日光連山、西方向には大山や高尾山、さらに冬の晴天日には、木々の合間から白い富士山が見える。さすがに節分を迎えると、刈り上げられたこの丘全体に、少しずつ緑のベールがかかり、だんだんと草木が茂っていき、私の遊び場は日々その面積が狭まってしまう。
さて、コロナウイルス感染症のパンデミックによって、健康と寿命をいままでよりもっと強く認識する世の中となった。健康寿命の延伸は、2040年を見据えるどころか、日々の医療の貢献がこれほど重要で急激に求められるとは予想だにしていなかった。このコロナウイルスが出現した当初、歯科医療に関しては、貢献するというよりも感染リスクが大変に高い職種と報じられた。しかし今日では、大阪府の知事が歯科診療でのクラスターが発生していないことに驚きを見せ、感染対策のノウハウを歯科に求めているということも見聞きする。世の中、なにがどう扱われるのかわからないものだ。昔から、口は食べ物の入り口であり、感染性病原体の入り口でもある。歯科界はそれらの病原体の侵入を阻止するノウハウを意識無意識的に有して蓄積もしてきた。いまはこれがコロナ対策の切り札を持つかのごとくいわれるが、歯科にとってはごく当たり前の対策だったと考えている。ハード・ソフト面を可能な限り活用した方法によってである。
歯科は食べるという行為の維持回復に加えて、口から出る文化についても貢献している。病原体を取り込まない方法についてエビデンスを整理し活用していく必要があるのはもちろんだが、ソーシャルディスタンスやステイホームで求められる生活環境から発症する精神的弊害やストレスを軽減する手段の一つとして、おしゃべりしたり歌ったりするような口から出る文化を支えている。たとえマスクごしであろうとオンラインであろうと変わりはない。これからのニューノーマルにおいて、生活の医療として歯科が積極的にかかわるということである。コロナウイルス感染症における「治療薬」「予防薬」「病原体を体内に入れない方法」と「生きるための文化のサポート」でもってこのパンデミックに立ち向かおう。
丘の上は、このような思考錯誤の場所でもある。ここからみる夕焼けは未来に向けての希望のあかりと感じられる。さて次の一手、どのように取り掛かろうか。
令和 3年 2月 2日(節分)
*第24回日本歯科医学会学術大会の詳細はHPの「ホーム」で適時ご案内しています。
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