日本歯科医学会について/ご挨拶
学会長ご挨拶 4・5月号

「あの狸の親子は今?」
桜の花は、東京西部のこの辺りでは咲くのも散るのも都心にくらべてやや遅い。ソメイヨシノや山桜や種類も分からないさまざまな桜が、ここ数日のやや冷たさを残す風に散り、今は地面や水面にその美しさを映している、そんな穏やかな季節である。
この時期に恒例の悩みは、冬タイヤをいつ交換するかということにある。温暖化で降雪回数は劇的に減っているとはいえ、この中田舎と呼ばれる丘陵地帯ではうっすらと凍る道路に欠かせないものだ。4月に入ってからの降雪もたまにあるので油断はできない。
さて、事業の年度末が近づき、学会に設置した臨時委員会から答申書が提出されてきている。臨時委員会の事業は諮問書によるところが大である。実は諮問書を作成する時点では、おぼろげながらアウトカムを考えているものの曖昧模糊とした内容になっている。諮問書の作成は大変難しい作業である。しかし、出来上がった答申書に目を通すとそのあいまいさ加減が重要だということが分かる。かゆいところに手が届いた内容もあれば、おもいもよらない結論になっているものもある。そして委員の方々が、諮問内容について学習していただいた痕跡を発見する楽しみもある。答申書の内容で事業が完成するものもあり、結論に至っていないが、次に引き継ぐものが明らかにされていることはありがたい。私たちの世界はいわゆる常置委員会ではある程度の枠組みが決まっていて定期的な事業を行うところと、その時期に社会の要求などを受けて立ち上げた臨時委員会で検討して答申をいただくというやり方を踏襲しているが、スピード感をもって事に当たるには適切なシステムでないようにも思える。そのこともあり、今期から4つの臨時委員会を常置委員会に移した。今、温故知新をモットーとし、一歩振り返り、二歩前進することを念頭に置き活動しているが、より効率的で具現化が早い仕組みを作る必要性を感じている。日本歯科医師会や日本歯科医学会の何らかの委員そして役員としておよそ35年間関わってきた私の経験から、いまできることは何かを考えている。
令和4年の2月号、そして4月号でご紹介した狸の後日談をしておきたい。その狸は、隣接した遊園地跡を棲み処にして、時々こちらの住宅地にもやってくる。雪の足跡で二匹の存在は確認できていたが、その後三匹を見かけたこと、子狸が遊園地跡から続く階段を下ってきている姿を見たことで、狸は家族で住んでいると知れた。この階段とその周辺の小高い草地は、半世紀近くものあいだ子どもたちの遊び場であり、私のように夕焼けを眺める最適地であり、狸たちとの出会いの場でもあったのだ。ところが、昨年夏ごろから、この階段途中の草地に不法投棄が見られるようになった。土地の所有会社はその対策として、厳重な金属のフェンスを設置し階段を閉鎖した。銀色に光るフェンスは高さ2Mにもおよび、人は出入りできない。下には狸が通り抜けるに十分なスペースがあるので安心していたが、しかしこのフェンスができて以来、3か月余が経過しても狸の姿を見ない。道路で車にぶつかった話や住民たちとのほほえましい出会いなど数々のエピソードを提供していた狸一家はどうしているのだろうか。『狸は鉄のフェンスを[罠]と見て近よらないと思う』という意見は、寂しいが当たっているかもしれない。土地の所有会社の不法投棄対策は効果的であった。しかしここで育まれた人や生き物や自然の感情は、もう戻ってこないのだろうか。
先述した、「日本歯科医師会や日本歯科医学会の何らかの委員そして役員としておよそ35年間関わってきた経験から、私にできることは何かを考えている。」が、この金属の立ち入り禁止フェンスのように、対策を講じて目的を達するだけでは完全に帰結できないさまざまな想いも同時に配慮できればと思うこの頃である。
令和 5年 4月 6日
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